油屋と温泉の歴史資料

 

このページは、元禄旅籠油屋に現在のこっている温泉についての資料をご案内致します。

お湯について

湯原温泉には3つの源泉があり、名物露天風呂の『砂湯』、『ゆばらふれあい交流センター地下』、『夢酔庵地下』です。
泉温/51℃。
泉質/アルカリ性単純泉でラジウムエマチオンを多量に含み無色透明で肌触りもなめらかです。
効能/神経痛、リュウマチ、胃腸病、疲労回復に効果があります。

屋号(油屋)について

 

上の写真は食湯館の工事前の施設写真です。

以前は客室を持つ油屋の一番古い施設でした。

かつて湯原は、山陽道と大山、倉吉を結ぶ街道の宿場町として栄えたところです。
大山に詣でる旅人や米商人、牛や煙草を山陽道へ荷送りする人々などでずいぶん賑わったといわれています。
元禄元年以来、夜ごと行灯の油を絶やさず旅人を迎え、道中の燈火の油を提供し続けてきたことから、”油屋”と呼び慣わされるようになったと伝えられております。


現在の当主(社長) で 15代目となります。

初代 油屋 長左衛門
二代     長重郎
三代     長左衛門
四代     長重郎
五代     長左衛門
六代     長重郎
七代     長十郎
八代     辰五郎  日蓮宗 (題目石塔建立)
九代     辰五郎長国 
十代     辰五郎   (高橋の苗字)
十一代    豊太郎  (明治27・28年水害)
十二代    敬雄  (昭和9年水害 20室が4室)
十三代    正毅 (別館建設)
十四代    通夫 (夢酔庵建設・食湯館建設)
十五代    忠孝

また、現在の夢酔庵は、一時油屋の手元を離れ、翠明荘と呼ばれていましたが再度取得し、
昭和50年に今の建物がたちました。そのときには、地下に泉源があるため基礎工事の際、工事中に温泉が出るなど大変だったそうです。

その1    入湯の定(元禄三年九月) 

 これは温泉への入浴についての定めです。本文を下に記載致しました。昔の身分社会の一端がよくわかる資料となっております。この時代の人々の生活感か感じられます。

定

内容 は以下の通りです。

大庭郡湯本村

一、 湯賃は一人一廻りの銀子一匁。宿賃は同断、薪は湯入方より沙汰いたすべく宿は相対に借るべきこと。

一、一の湯には自国他国とも知行取、同息、兄弟、中小姓ならびに出家は一寺の住持、長老、法印、町医者にても家来を二人以上召しつれまいる者は入れ申すべきこと。

一、二の湯へは自国他国ともに歩行医師、ご家中の中小姓、町の大年寄、町在郷とも身持たる者ならびに出家、神主、山伏は下人など召しつれまいらす程のもの、女も下女等召しつれまいり恰好のものは入れ申すべきこと。

一、 湯屋、幕の儀、一二の湯ともに先札しだいにまわすべきこと。

一、 女湯へは男入るべからざること。

一、 自国他国対湯入衆中は慮外べからず成體のこと。

一、 自他国もし手負いならびに烏散なる湯入りのもの之あるにおいては早速告げきたるべきこと。

一、 賭の諸勝負はかたく停止のこと。

一、湯屋の掃除以下懈怠するべからず、湯屋の内にて高聲惣じて狼藉するべからざること。付湯屋の内へ草履、木履、はくべからざること。

右条かたく相守るべきものなり

                         元禄三年九月

                                           林多左衛門

                                           川端八太夫

 

 

 

 
    

その2 温泉番付

     

           拡大図

湯原温泉が西の横綱として全国にアピールしています露天風呂番付です。

行司に野口冬人氏が、勧進元に暁教育図書編集部でまとめられています。

この番付の紹介で湯原温泉は大変観光的に恩恵をうけております。

西の横綱の名に恥じないように、後々までこの自然いっぱいの環境をみんなで守っていかなければならないと考えております。

 

さて、温泉番付ですが弊館には、もっと古い時代のものがあります。

       諸国温泉鑑

拡大図

       時代の特定はできませんがおそらく江戸時代もしくは明治時代のはじめころのものと思われます。

       内容では湯原温泉がこちらは東の関脇となっております。行司で本宮の湯と有馬の湯、頭取に新宮の湯、勧進元に熱海の湯となっており別格で、その次に東の大関から関脇とランクがついております。昔から湯原の温泉は評価が高かったという証明ではないでしょうか.。

その3  油屋豊太郎 の版

   

    先日 上記の版が出てまいりました。何に使ったものでしょうか?

その4  題目塔

旧湯原町の釘貫小川(現在の真庭市釘貫小川)の旧大山道沿いの三坂山(902.5)の山頂付近に油屋の先祖 辰五郎の「南無妙法蓮華経」の題目塔があります。山越えをする旅人の道中の安全を祈願して立てられたものだそうです。当時の当主の深い信仰心と油屋の繁栄の証でしょうか?

 

 

所在地 釘貫小川 釘貫

年代 宝暦10年 (1760年)

銘文 (正面) 南無妙法蓮華経

    (左面) 

   宝暦十庚辰年三月二十八日

    (右面) 南無妙法蓮華経

    (背面) 油屋辰五郎  (8代目)

高さ 180cm

(出典 湯原町教育委員会 湯原町文化財専門委員会編「湯原町の石仏・石造物」P36より)

 











 

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